ボーヨーの年

先日の教科旅行のバス内でY先生から「最近、何か面白い小説あった?」と聞かれた。

Y先生からお借りした数冊(小説!)が借りパク状態の私は、まずその意味でちょっと焦ったのだが(※Y先生は優しい方なのでそういう意味でおっしゃったのではない)、その後ろめたさを差し引いたとしても、思えば最近(いつから??)小説を全く読んでないことに気づいて、別の焦りを覚えた。

今年は仕事でのおおごとがありすぎて、本当に大変だった。普通ならそういうときこそ小説の世界にワープするのだが、今年のいくつかの件は、言葉ばかりのやり取りだったので、言葉に疲れていたのかもしれないと今になって思う。(言葉と言うなら、言ってはいけないが、授業も死んでいた。)

しかし、おかげでひさびさにマンガはたくさん読めた。これには今年迎え入れた初代Kindle(キン太郎)のおかげも多々ある。近年マンガから遠ざかっていたことがコンプレックスだったが、キン太郎の助けで多少勘が戻って来つつあって嬉しい。

今年のお正月休みは短いけれど、ぐっと来る何かを読んで鋭気を養いたい。マンガでも小説でも。

巨星逝く年

原節子さん。水木しげるさん。

人間が誰しもいつかは亡くなるものであるなら、ファンとしては、亡くなった悲しみはもちろんだが、大往生であったことや、特集が組まれることを喜ぶ気持ちもあっていいと思いたい。

と言いながら、心に穴があいた気持ちがこのところふさがらない。マンガでも読みます。

変な問い自ずから在り

最近になって森博嗣に興味を持ち、有名な『すべてはFになる』を読んでみたいがちょっと難しそうなので、新書系からデビューしてみたところ、ひさびさに、「本を読みながら、声に出して笑ってしまう」状態になった。

我ながら、変なことをまじめに言う、という芸風に弱い。ものすごくはまってしまうのでは?

原罪

イムリー、などというには、あまりに不謹慎だが、異文化理解をテーマとした評論を扱っているところに、フランスでのテロが起こった。
真剣に考えるうえで、またとないチャンスだったので、私なりに授業の合間に説明を試みた。

ことわざも知らない人々が相手なので(前回参照)、「IS」とか「アルカイダ」とかは、クラスで何人もが『音として聞いたことだけはある』に手を挙げても、想定内だった。

しかし、ここで全員「あ、そこらへんか〜」とピンと来るという想定で、「ウサマ・ビン・ラディン」を出したとき、むしろ大半が『聞いたことさえない』に挙げたのは、衝撃的に、外(がい)だった!

そこからいろいろ話してみるうち、「あ、もしかして『ビン・ラディン』のことっすか? それなら分かります〜(^^ゞ」という流れが生じたのも、全くもって、外の外だった。。。

自分が、彼らのことが全くもって見えていないことに、猛省させられる季節である。凩。

ギョギョギョ

中3生が案外、ことわざ・慣用句を知らないままきていることが判明したので、急ぎ合間に扱っている。(ほっといても多少は身に付くと思っていたら、全く身に付いていなかった!)

知っているつもりのものも、ちゃんと説明できるかという点にこだわってみると、とても良い勉強になる、とも言えるのだが。

今日は、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」の意味を自力で記述させたさい、

『過ぎたことは取り返しがつかない、ということ。』

という内容を書いている子が複数いたのに驚いた。たしかに、つじつまだけは合いそうな気はする。

こないだは、「言うは易く行うは難し」の「難し」の読みを聞いたら、大半が

『ガタし』

だと思っていて、ショックだった。(『有難い』からの類推らしい!)


「漁夫の利」を

『りょふのぎ』

と思っているやつが複数いたのにも、愕然とした。

Yちゃん

何気なく読んでいた新聞記事。

某政治家の名前にふと思い当たり、よく見ると、同い年。検索してみたところ、学友だった。

あまり親しくなかったが、たぶん6年同じ学校にいたのだろう、名前に「ちゃん」をつけた響きにものすごく聞き覚えがあった。

ブログ等で顔をじっくり見たが、特に何も思い出せない。私は名前を覚えるのが好きなので、彼女の、よくあるようであまりない素敵な名前ばかりが印象に残っていたらしい。